未来学 futurology 2005 4 15

 未来学という学問があるそうです。
詳しくは知りませんが、未来社会を予想する学問かもしれません。
 こうした予想が、社会に関することならば問題ないでしょうが、
個人レベルの未来がわかってしまうと、問題があるでしょう。
 たとえば、10年後に癌にかかって死ぬと、わかってしまったら、大変なことです。
10年間、「癌にかかって死ぬ」と悩み続けながら生きるのは、大変です。
それならば、そうした未来が見えなくて、10年間楽しく過ごし、
10年後に癌にかかって死ぬ方が、幸福でしょう。
 それでも、未来を知りたいと思う人が多いでしょう。
未来は、こう考えるとよいでしょう。
これは、すでに何度か書いていますが、
過去・現在・未来は、長い列車なのです。
 長い列車の通路に立てば、先頭車両の方まで見えるでしょう。
先頭車両が揺れれば、やがて、その揺れは、
自分が立っている位置まで、やってくるでしょう。
そして、その揺れは、自分より後方の車両へと伝わっていくでしょう。
 未来は過去であり、過去は未来です。
これは、わかりにくい考え方ですが、こう考えると、わかりやすいかもしれません。
数百年後には、科学技術が高度に発達しているでしょう。
そうなると、あまりに行き過ぎた科学技術に嫌気がさしてくるでしょう。
そして、こうした科学技術を捨てて、
もう一度、エデンの園から、やり直したいという人たちも出てくるでしょう。
 これでは、はるか昔にあった「エデンの園」に戻ることになりますので、
未来は過去となるのです。
それでも、時代が経過すれば、その「エデンの園」においても、
やがて、科学技術が発展してくるでしょう。
 あるいは、こう考えてもよいでしょう。
時計で計られる時間は同じでも、
みんな、同じ時代を生きているとは限らないのです。
 現在でも、世界を見渡せば、
ある国は、民主主義も科学技術も、高度に発達していますが、
ある国は、王国のような独裁国家であったり、
ある国は、戦国時代のような状態だったり、
ある国は、王制のような近代国家にもなっていなく、部族社会だったり、
ある地域は、国家と呼べる状態ではなく、集落を形成しているだけかもしれません。
 民主主義も科学技術も高度に発達してしまった国は、やがて火星に植民地を作るかもしれません。
そこで、また「エデンの園」から、やり直したいと思うかもしれません。
 こうしてみると、現在の地球においても、
国の形が、過去・現在・未来と、同時に存在しています。
 だから、時計で計られる時間は同じでも、
みんな、同じ時代を生きているとは限らないのです。



































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